人生とは・・・死ぬまでの暇つぶし・・・とか悟っちゃったりなんかしたりして。
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あたしは偶然、知りました。
世の中には、
「風の谷のナウシカ」には原作マンガがある
ということを知らない人たちが大勢いる
という事実に!w
アニメ版のナウシカは、数え切れないほど繰り返し観ました。
そして、ジブリ作品の中ではお気に入りに入るくらい好きな作品です。
でも、物語として比較すると、原作の圧倒的な迫力とボリュームの前に、アニメ版はかすみまくりになってしまいます。
それくらい、物語のスケールが違いすぎます。
2時間の映画の中に収めるためには、アニメはあれくらいバッサリとやってしまわなければ、完結した作品にはならなかったろうと理解できますが、原作と比較するとあまりにお花畑な展開に、原作ファンとしては苦笑せざるをえません。
子供の頃のあたしならあれで充分感動できたのですが・・・今のあたしにはもう・・・。
ある程度のネタバレは避けられないあたしのマンガ布教活動ですが、今回は核心ネタバレは無しでいきますヨ。
言葉で説明することがもどかしいほど、アニメと原作は異なっています。
共通なのは、高度に発展した巨大産業社会が、「火の7日間」と呼ばれる大戦争とその戦争で使役された巨神兵という巨大兵器によって滅ぼされ、腐海と呼ばれる巨大な菌類の森とそこに棲む蟲達が、人類は元より旧世界のあらゆる生態系を圧迫しているジリ貧の地球、という姿です。
例えば、アニメで描かれる世界を地図にするとこんな感じ。
風の谷とペジテとトルメキア、そして腐海と酸の海。
トルメキアは巨神兵を狙ってペジテを攻略し、巨神兵が墜落した風の谷にも侵略の魔手を伸ばす、「ただの悪の帝国」として描かれます。
でもマンガだとこうです。
南方に土鬼(ドルク)諸侯国が存在しますネ。
そして、風の谷はトルメキアと同盟関係(※といっても著しくトルメキアに従属的立場)にあり、トルメキア・土鬼間の戦争に盟約によって、しぶしぶトルメキア側として参戦する、という構図になっています。
ナウシカは族長代理としてトルメキアとの折衝にあたり、自ら従軍もする、世俗にまみれた側面を隠しきれません。
アニメでも有名な、王蟲に追われるユパ様を救出するシーン。
アニメのナウシカならまず口にしないであろう、ややはすっぱな口調が印象的。
アニメではトルメキアのコマンド兵としてリファインされて登場する「蟲使い」たち。
腐海の奥深くに住み、他の人間とは交わりが少なく、不衛生で下劣な賤民として描かれます。
蟲使い達は、飼いならした蟲をカゴにいれて常に携帯するわけですが、
容赦なく蟲を銃撃するナウシカ。
領民の手前、族長代理として毅然とした対応を見せつける意図も必要ですが、ナウシカもまた不浄な存在として蟲使いを見ていることがわかります。
蟲使いの蟲を忌まわしき存在とさげすみ、それをけしかけた兵士達に怒りを爆発させるナウシカ。アニメのナウシカならどんな蟲でも愛ずるべき存在として平等に扱いそうですが、原作のナウシカは少女にありがちな苛烈が同居した潔癖さの持ち主であることが窺い知れます。
これもアニメで有名なシーン。トルメキア装甲兵とナウシカの決闘に割り込むユパ様。
相手の実力を見切って、鼻で笑うナウシカは、アニメで描いてしまったらイメージ台無しなのは確実ですネ^^;
アニメでは、本国に反旗を翻そうとする小心な野心家である皇女クシャナは、原作では、王位継承問題で常に命を狙われつつも、政敵につけこまれることなく軍部内に確固たる地位を築き上げた、清濁併せ呑む手練れの指揮官として描かれます。
無能な将軍の指揮下で敵地に孤立し、消耗した自らの軍団の隊長たちを軍議で奮い立たせるクシャナ。
参謀のクロトワもアニメでは厭戦気分丸出しのダメ参謀という感じでしたが、原作ではクシャナではなければ使いこなせない”喰えない”参謀っぷりがナイスな中年ですw
クシャナは、ナウシカと並ぶ物語のもう一人のヒロインといえるでしょう。
ナウシカを自分の軍団に引きこみ、土鬼との戦場に連れ出して、世間知らずな族長の娘に戦争の現実を見せつける彼女は、ナウシカの教師役の一面も持ちます。
殺伐とした登場シーンが多い、クシャナ殿下の可愛らしい一面が描かれた唯一のカット。
この一カットで済ませたのは非常に正解ですネ。
最初は、クシャナとナウシカという2人のヒロインの役割や性格付けでカブる部分があったと思うのですが、物語が進むにつれ、王族・軍団長として自らの生き様を全うしようとするクシャナと、世俗の権威や常識に囚われずに同志と交流し、真理の探求者として独立独歩するナウシカの描き分けは、より明確になっていきます。
←第7巻の表紙より。
蟲使い12氏族の選りすぐりの勇士達と共に、土鬼の地の奥深くまで赴くナウシカ。
彼女が安っぽいヒューマニズムではなく、世界の真理を探求する過程で蟲使いたちへの差別意識が自然と氷解していく様こそ、真の差別の克服ですネ。
ほぼ完全体の巨神兵が登場するのも原作の特徴です。
巨神兵が発掘されたのはペジテという点は、アニメと共通の設定ですが、巨神兵を強奪した土鬼が不完全だった巨神兵の成長を完了させる点が異なります。
アニメでは巨神兵は核兵器を連想させる大量殺戮兵器としか使われませんが、原作ではもっと複雑な存在として描かれます。
巨神兵とナウシカとの関わりは、読むヒトにとってはちょっとショッキングかもしれませんネ(^^;
第6巻の綴じ込みのイラストより→
巨神兵と交流するナウシカ。
常人には計り知れぬ真理の深淵を覗き見た彼女に、正邪つかみかねる魔女的なムードを感じます。
土鬼の戦士達。
土鬼は多数の部族の集合体であり、各部族の族長は僧侶がつとめます。
各僧侶を束ねるのが、聖都シュワを根拠地とする僧会であり、世俗と僧会両方を支配する神聖皇帝が土鬼の最高権力者です。
その風俗は西欧的なトルメキアとは大きく異なり、かなりアジア的です。
土鬼の甲冑は日本風ですし、顔つきも凹凸が少なく、黒髪の人が多いですネ。
文字は漢字以上に複雑な字体をしていて、パっと見は西夏文字に似ています。
土鬼は、旧世界の遺物の密度が高い土地で、物語の後半はほぼ土鬼の地が舞台です。
土鬼の聖都シュワには驚くべき遺物までが残っているのですが、これを説明してしまうと激しくネタバレになるのでやめておきます(^^;
ぜひ原作を読んでみてください。
原作のラストでのナウシカの言動は、今も賛否両論のようですが、あたしは原作のほうがはるかに奥深くて好きです。
アニメのように”妄信的な”友愛(※鳩山さんのおかげでいっそう安っぽい言葉になってしまいましたが^^;)を前面に押し出した作りは、偽善っぽく感じられてシラけます。
原作とアニメでこれほど大きく内容が異なった理由について、あたしなりに考察してみると、やはり腐海の存在理由の設定が、原作のほうが数段念入りにされていることが、その出発点だったと思いますネ。
ナウシカの作品世界においては、腐海こそがその世界の根本です。
ナウシカのように真理探究型のキャラクターは、腐海の深部を覗き見ることで成長していくわけですから、腐海の存在理由が軽ければナウシカというキャラの個性も軽くなるという正比例関係にあるといえるでしょう。
アニメでは、自然の自浄作用としての腐海、という「自然=正しい」式の単純で、あたしみたいにちょっとヒネくれた人間には「本当にそうかーー??」と言いたくなる存在理由だったわけですが、原作はその殻を突破した存在理由が付加されます。
結果、アニメとは似て非なる少女ナウシカが原作には誕生したわけですネ。
アニメのナウシカがレベル20くらいだとすると、原作のナウシカはレベル99って感じです(^^;
アニメの方が安心して見られるという意見には同意するものの、あたしは原作のほうが好きだなァ。
原作は、戦場のシーンも多々あり、血なまぐさい描写が数多くあります。
首が飛んだり、手足がちぎれたりという人体破壊カットも多数あり、内容の重さとあいあまって、ちょっと子供向けとは言いがたいですネ。
残酷描写という点だけなら、R15指定といったところでしょうか。
でも、総合的には充分、
"大人の"ナウシカ
という感じです。
でも劇場版ナウシカ公開からもう30年が経過しました。
かつて、幼少期にナウシカを観た子供達ももうすっかり中年ですw
何回されたか分からないテレビ放送でナウシカを観たあたしだって、もうゴニョゴニョな年齢なのですから、そろそろ
真説 風の谷のナウシカ
としてOVAかテレビアニメ化してほしいと思うのはあたしだけでしょうか。
これだけの原作を、一度だけ劇場アニメ化して終わり、というのはなんだかもったいない気がして仕方がないですネー。
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小さいときから本と映像作品の虫。徹底的インドア派。
今も映画・アニメ・マンガ・PCは大好き。歴史・SF・メカ・生物・ミリタリーなど全般に光速の食いつきをみせる。
このブログは、あたしの物欲・知識欲・性欲によって支えられていますw
漫画ナウシカは確かに宮崎教の集大成かもですね
私は劇場版はパイロットフィルムで、あの後NHK?
あたりで52話の重厚なアニメになると思ってました
ただ、御大ももう歳をとったせいか、終わり方が
「第一部完」になって結局大地との絆は回復しない
ままっていうのは納得いかないところであります。
(そういえば昔買ったプラモどこいったかな)
>漫画ナウシカは確かに宮崎教の集大成かもですね
腐海の生態系、巨神兵のアイディアは卓越しているなァと思いますね。
味わいがある無骨さ丸出しのメカ達もすごく好きです。
これほどの空想世界が一人の人間の頭の中から出てきたのが、すごく不思議な気がします。
>ただ、御大ももう歳をとったせいか、終わり方が
>「第一部完」になって結局大地との絆は回復しない
>ままっていうのは納得いかないところであります。
あたしはあのラストで結構納得しているんです(^^;
その後のナウシカやクシャナがどのような人生を送ったのか、トルメキアや土鬼がどのようになったのか、興味は尽きないのですが、いずれも蛇足の後日談でしかない気がしますネ。
あえてその後の続編を作ろうとすると、地球の浄化が進んだかなり未来の世界が舞台になりそうな気がします。ナウシカが「知らなくてよい真理」であると人々から真理を封印した矛盾が、いよいよ現実の障害となって人類の前に立ちふさがりだした時期こそ何かドラマが起こりそうですよネ。
※清浄な大地が腐海と同様の脅威を人間に与える世界って、なんだか頭がおかしくなりそうな世界ですが・・・(^^;
わざわざ色々とすみません。
難しいことあまり考えられないので
私個人としては「金色の野に降り立つ」
予言をクリアした以上、後半も描き切る
のが作り手としての責任かなと思った
だけです。ハイ(いや、あの流れで
予言をすべて描き切った。あるいは
予言こそ否定されるもの・・とか
色々解釈はあるのですけどねぇ)
>私個人としては「金色の野に降り立つ」
>予言をクリアした以上、後半も描き切る
>のが作り手としての責任かなと思った
>だけです。ハイ(いや、あの流れで
>予言をすべて描き切った。あるいは
>予言こそ否定されるもの・・とか
>色々解釈はあるのですけどねぇ)
これは難しい問題ですネ(^^;
読むヒトによってナウシカに期待するものは違いますから・・・。
予言の「失われた大地との絆を結ばん」をどう解釈するかですが、、、
墓所の主が語った「清浄な世界」とは違う、ナウシカ達にとっての清浄な世界を見つけ出す一歩を彼女が踏み出すことを匂わせて物語は終わるので、充分、予言を果たしていることになるとあたしは考えていますヨ^^
ただ、これだけ好奇心が刺激される世界、実に多彩な登場人物、蛇足とは分かっていてもその後の展開が知りたいですネ^^
クシャナのその後や、再建後の土鬼、土鬼のニレ族を受け入れた風の谷のその後、、、などなど。
個人的にはケチャのその後の人生が知りたいですネ~。アスベルとケチャはけっこうイイ仲になりそうな気がしたのですがw
ハヤオ様がもう続きを描く気力がないのでしたら、ジブリ内の有志を募って、ハヤオ監修のサイドストーリーを作ってほしいものです。